体験に育てられる表現
子どもの頃から育ててきた実家の杉山を、昨日伐採した。高齢の父が手入れができなくなり、台風で倒れたら隣の山に迷惑がかかるから、と。4年くらい前にも間伐したのだけれど、もう全部伐ってくれということだった。
4年前にも一緒に行ってもらった山師さんの力を借りての伐採。家業として離せない現場が2つあるので、息子とアルバイトの職人さんには現場に行ってもらい、主人と山師さんとでまず山へ。私は午前中にこれまたどうしても外せない朗読の稽古があり(文化祭に向けての配役の決まった通し稽古)、終わり次第、合流することに。 山に着くと、半分くらい伐ったところだった。高くなっていた杉の木々が真ん中に向けて倒されていて、すっかり変わった景色。入口付近に植えたツツジやヒイラギの木がなかったら、危うく見間違うところだった。 山師さんの的確な判断で、正確に伐り倒されていく。伐採の場面には何度か立ち会わせていただいているけれど、ミシミシ、メリメリと音を立てながら倒れていって、地面に落ちる瞬間のスピードの速さと風を切る音、そして地面に叩きつけられた時の地響きの音は、何度聞いてもその木に対して手を合わせたくなる。木が一生を終え、そしてこれから材木として生まれ変わるその瞬間を、胸に刻みたいと思う。 隣の山に入り込んでしまった先端部分を切って、こちらの山に運ぶ作業がまた大変だった。体力のない私は、それをするのが精一杯。今月、稲刈り・稲こぎで腕を痛めていたところにこの作業で、今日はほんとにものが持てない状態…。でも、これは主人も同じこと…というより、主人の方がもっときつい状況なのに、今日も現場2つと会議のはしごをこなす。 後手後手になってしまった家事をなんとかまわしつつ、ぼんやりした頭でとりあえずPCに向かった昼食後だった。 これから私は、今度講師を請けた県立図書館に提出するプロフィールのまとめと、市の公民館講座として請けているおはなし会のプログラムの編成を、たまりすぎた洗濯をまわしながら仕上げていかねば。家にいてできる仕事だからいいけどね。…これで食えたら、もっといいのだけどね(^^;) 自然とできるだけかかわりながら、体も使いながら、文化的なことを広めていく活動もしながら。50歳を超えて体力的な限界も少し見えはするものの、今、自分の人生を生きている気がする。おはなし会をするのも、朗読や語りで「表現」するのも、すべては自分の生活の中で感じたものが基盤になっているから。むしろ、そういった体験こそが「表現」の深みにつながると思うから。 朗読劇での会話や地言葉での民話語りの中には、街育ちの人には表現できない何かがきっとあると信じたい。
by k_sakuya07
| 2019-10-17 13:13
| 生き方
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