たしかな歩みを。

手をつなぐことができる人間と…

 人生も後半を回るような歳まで生きてきて、新たに出会う人のすごいことといったら、まぁなんというか…

 勤めを辞めてから、本当に価値のある人付き合いができるようになった。出会う人みなそれぞれに輝いていて、仕事ではないのに自分の信念として地域活動・市民活動をする仲間に触発されて、より高みを目指す人生が送れるようになった。

 が、やっぱり世の中にはいるのだ、ウマシカな方々が。

 大人気なく、常に被害者意識で感情的で、仕事をやらせれば「?!」で、ついでにニホンゴが通じない。質問した答えは得られず、それ素面でやってるのかと叫んでしまいそうなことをしてくださる。そんなのが集団でいると、もう手に負えない。

 久しぶりにこういう人たちに出会って、今付き合いのある人たちがどれほどまとも人たちなのかを痛感している。これが普通だと思いかけていた。

 長年、青少年を育てる立場にいたけれど、子どもはいい。育つから。しかしこういう容姿だけ大人な人々は、手の施しようがない。

 まともに相手しているとこっちまでおかしくなりそうなので…といっても頭にきて寝られず日曜日の朝4時前から悶々としていることも、まぁアホらしいのだけれど。

 ひとつ確実に言えることは「忙しいのはみんな一緒です!」などという人は、はっきり言って忙しくない(笑) たいてい自分のことや自分の家のことを指している。

 あのねー、それはみんな一緒だからねー、それ以外にこうして金にもならん世の中のこといろいろやってるんだよー、次の時代を託す子どもたちにちゃんとした社会を引き継ぐためにねー。
 教えてさしあげてもどうせ理解すらできないとは思うが。

 さあ! 今日も2つ市民活動をハシゴする。自ら動きもしない、関心も示さない人間が1人ずつでも参加するようになると、世の中きっと変わっていくんだろうけどなあ。手をつなぐことのできる人間とそうでない人間が、悲しいかな、いるらしい。

# by k_sakuya07 | 2019-02-10 07:22 | 生き方 | Trackback | Comments(0)

年賀状 -どんなにAIが発達しても-

 三箇日も過ぎて、ようやく日常に戻りつつある4日ではありますが…新年おめでとうございます。今年も無事に家族そろって新しい年を迎えられたこと、なりよりの幸せです。

 年賀状が毎年暮れの大仕事の一つで、どうしよう…早く書かねば!と焦ってやっと仕上げるのが恒例のわが家ですが、やはり届くのを見ると嬉しいものですね。

 はがきの値段が上がったり平成の終わりで一つの区切りをつけたりとかで、年賀状を止める人たちが多いらしいと聞きます。たしかに、どうしようかな〜いつも出してるし向こうからも来るからなんとなく…というようなビミョーな関係のものもありはするのですが…。でもやっぱり私は年賀状は毎年書いていくのだろうな、と思っています。

 今はSNSやメールなどという便利なものがあって、瞬時につながっていける時代ではあるけれど、年賀状には年賀状にしかないあたたかさがあると感じます。遠く離れていて何十年も会っていなくても年賀状で近況を確認し合ったり、いつも顔を合わせている間柄であっても改めて感謝の気持ちや希望を伝え合ったり。印刷ではあっても何か一言添えられたものからは、本当にその人が近くにいるように感じられてあたたかい気持ちになります。

 年賀状代もばかにならないけれど(勤めを辞めたらだいぶ減るだろうと思ったのに、減った分新たに増えてる)、毎月「年賀状代」と書いた封筒に“袋貯金”して購入するだけの価値は絶対ある!と思っています。出した枚数分、向こうからもじわじわとあたたかい言葉が贈られるって、なんて素敵なお年玉ではないですか♪

 このデジタルな時代にあって、決して便利さや速さには変えられないもの、それが年賀状にはあると思っています。
 なんかまるで郵便局の回し者みたいな記事になっちゃったねー、今日は(笑)

 どんなにAIが発達しても、人の心のこんな部分には決して取って代わることのできないもの。そういうものを大事に、今年も進んでいきます!

 

# by k_sakuya07 | 2019-01-04 20:48 | 生き方 | Trackback | Comments(0)

年越しの夜に

 大晦日。
 年の初めに「今年こそは余裕を持った予定管理を」と思ったのに、やっばり今年も11〜12月には死にそうな過密スケジュールになって体調まで壊しつつ…の日々になってしまいました。どうにか持ち直しての年越し、やれやれです。

 あーしかし、何はともあれ大晦日。
 数年前からお互いの実家を元日の昼夜でまわることになったことで、お正月におせちは作らないと決めてから、ずいぶんラクにはなりました。作ったところで、肝心の元日には食べられないのですから。かといってこの文化をないがしろにするのは嫌なので、15日をすぎた小正月くらいに落ち着いてから作ります。

 おせちは食べなくても、お雑煮とお屠蘇は欠かせません。お屠蘇は…すぐ実家に向けて車で出発しないといけないし子どもたちも苦手なので、うちではリンゴジュースが屠蘇器に入ります(笑)

 主人も長男も忙しすぎて仕事が終わらず、昨日が仕事納めでした(途中で消防の出動も入ったし)。今日は日中から近所の神社にいろいろと準備に行き(獅子舞会と総代と)、今日もこれから神社へと。

 やることが多くてやっぱり終わらないのは私も同じで…でも今年はなぜか、まあいいや、という気持ちでいます。完璧を求めても仕方がないというか、誰のために?とか、結局やれていない自分を責めるのが疲れるというか。

 対外的なことも大事だけれど、もう少し自分軸で生きてもいいよね…などと考えるのは、“自己中”ではないよね? 本当に自己中な人はこんなことを考えるはずもないと自分を擁護しつつ、ちょっとだけ年越し前の休憩をしているところです。

 今年も一年、たくさんの人に支えられて無事に過ごせました。来る年もどうぞよろしくお願いいたします。

 地球上の人々がみな、心穏やかな年越しができるといいなあ。どうかこの時間だけでも、平和であってほしいなあ。人だけじゃなく、どんな動物も植物もこの世に命のあるものみんなが、幸せに過ごせるといいなあ。
 お金とか物とかじゃなくて、私が望むのは、昔っからいつも、そういうこと。

 明日は、新しい年。心を新たに、前へ。
 
 


# by k_sakuya07 | 2018-12-31 22:32 | 生き方 | Trackback | Comments(2)

無知の知

「えーっ毎日なの?! アレルギーの恐れのある日だけとかじゃなくて? 除去食も対応してくれてるはずよ、申請してみたらいいのにー」
 たいがいのママ友はみなそう言います。親切心なんです…それはありがたいのだけれど。

 わが子は軽度の牛乳アレルギー。混じっているくらいならまあ大丈夫なのですが、牛乳そのものとかチーズをたくさん摂ると、手に水疱ができます。

 小学校の途中までは、自己申告によって牛乳のみを飲まないという選択ができました。5年生になるときに、市教委の指導により医師の診断書の提出が必要な流れとなりました。考えた結果、給食自体を断り、毎日給食と同じメニューで弁当を持たせることにしました。この経緯について興味のある方は、拙ブログの「診断書を出さないと給食が…」の記事をご覧いただければと思います。

 それから早4年、中学校でもそのようにしていますが、時々子どもの登校に間に合わないこともあります。朝にバタバタと用事が入っていたり(今朝のような読みきかせの日もそう)、私自身の体調がよくなかったり。でもどうにかしてお昼までには学校に届ける、というのをなんとか続けています。

 知らないということは、ある意味幸せなのかなと思います。
 しかし、信じていたものがまるで違ったと知ってしまったら、それからどうするかは親としての、大人としての決断が必要なのではないかなと考えています。

 「なんでインフルエンザの予防接種を強制にしないのかしらね〜、もうすぐ受験シーズンなのに困るわ」などと言っている親御さんも多いですが…インフルエンザに限らず予防接種のワクチンがどういう原料で作られているかを知ってしまったら…それでもそう言うのかなと思ってしまいます。

 教えてもらわなかったから知らない、は通らない。
 この情報化時代、どこからでも情報は探せます。スマホを持ち歩いているのに、使いこなせていない人が多すぎます。

 公が出しているものが正しいとも言えない、そんな時代だからこそ、大人の情報リテラシーが問われています。「知る」以外に、これからの時代を生き延びることはできない…大げさではなくそう考えます。
 受験に勝つ知識ではなく、本当の意味で「無知の知」を知ること。次代を担う人材を育てている今の大人たちに欠けているものは、これなんです。

# by k_sakuya07 | 2018-12-13 12:55 | 子育て | Trackback | Comments(0)

人の便からプラスチックが

 ウィーン医科大の研究で被験者全員の8カ国の人の便からマイクロブラスチックが検出されたというニュースが出ているが、これに対しての世の中の人たちの反応のなんとまあアホなことか。

 「健康被害が出ているならとっくに出ているだろう」とか(←今すぐ影響がなくても蓄積されて出てくるもんなんです。世代間の連鎖で異常が出るとか、いわゆる人体実験中なんですよね、現代に生きる私たちは)、「環境ホルモンの時みたいに空騒ぎに終わる」とか(←空騒ぎではなく現在も進行中。無知もいい加減にしてほしい。「環境ホルモン」という言葉自体はわかりやすく表現した通称であって、現在は化学物質過敏症などの原因として問題になっている)、「避けようがないから気にしてもしょうがない」とか(←出た!自分でなんとかする気のない愚民。なんで自分たちが力をあわせるとかそういう考えがないのか)、もうそりゃひどいね。

 どうせ世の中の大半はアホだから伝えても響かないヤツらばかりなのだろうけれど、そんなアホどもが全くなんの生活の見直しもせず、それを作って売る企業の思うがままに踊らされて、結局自分の後の世代にツケを残していくなんて、なにがどうあっても許されない。

 今日はちょっと筆に毒気がありすぎるけれど、これじゃまだまだ足りんくらいだ。人間はもう、滅びる一途をたどっているのかもしれんね。そのほうが確かに、地球にとってはいいのかもしれない。

 かといって、このままにしていていいわけがない。自分の代で異常が出なかったとしても、子どもの代、孫の代で何かが必ず出てくる。こんなにもアレルギーを持った子どもが多くなって、2人に1人がガンで死ぬなどということ自体、既におかしいではないか。

 花粉症にしても然り。花粉症が辛いから例えば杉は植えちゃいかんとかそういう問題ではなくて、杉なんか大昔からあるのに昔は花粉症はなかったわけで。しかも杉がたくさんある山の人間ではなくて、都会に住む人間のほうが花粉症になるのがおかしいでしょうが。結局花粉みたいな微粒子にくっつく化学物質が問題なのであって、花粉自体が悪者なわけじゃない。
 
 そこらへんの根本的なことがわかってない、自然と共に暮らしてさえいない人間が、どうのこうのもっともらしいことを大勢でほざきやがって。テメェの足元を見やがれ!と言いたくなる。

 あー、ちょっと毒舌が過ぎましたかね。
 しかし、動かないわけにはいかない、自分の周りでできることを…と動きまわっている者の叫びを吐露せずにはおれませんでした。
 

# by k_sakuya07 | 2018-10-24 22:20 | エコ | Trackback | Comments(0)



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